「まちづくり」活動の経験者から個人塾へ寄せる期待

 先日、「今治市個人塾協会」の会長として多大な世話をしてくれている方より、「まちづくりと個人塾のかかわりに関して、何か論考を書けないだろうか」という提案を頂きました。エルムの塾長である小職が、25年間ほど今治の「まちづくり」に関わってきたことを知り、思いつかれたらしい。

 この話を頂いた当初、小職にはかなり意外な発想に思えて、「うーむ」と唸ったものでしたが、考えてみると、まちづくりの活動にとって、最も大事なものは「活動する人」ですから、個人塾の塾長が塾の運営の際し、もっとも大きく心掛けていることの一つである「塾生の成長」という点に照らせば、興味深い論題なのではないだろうと思い直し、小論を試みてみることとしました。

「まちづくり」とは

 最初に、「まちづくり」という言葉は人によってさまざまな意味で使われており、そこには、結構大きな隔たりがあるので、正確を期すために文献を漁りながら言葉の整理をしておきます。

 歴史的に見れば、この「まちづくり」という言葉は1950年代に『都市問題 誌で「新しい町づくり」と表現されたのが文献上の初出のようです。それが「まちづくり」として世に膾炙し始めたのは、1970年代の美濃部東京都政の頃からです。当時、美濃部都政は都政への「市民参加」を積極的に進めており、その一環として、都市の姿かたちの基本となる「都市計画」に都民の意見や提案も反映させることが図られました。それまで、住民自治などに関心をもって活動していた多くの都民が関心を寄せたらしく、彼らが計画した案が提起されました。
 しかし、都民からの案は専門職員が法律に基づき作成した計画とは性格の異なる提案でもあったことから、それらを「まちづくり」と位置づけ、東京都は都市計画と並行して、「住民主体の地域改善活動」であるとして「まちづくり」の支援を行ったようです。

 そして、2000年代以降、地方分権一括法により地方自治体裁量が拡大したことも寄与し、「観光まちづくり」「防災まちづくり」「歴史まちづくり」「福祉のまちづくり」など、あらゆる政策分野で「まちづくり」が冠されるようになりました。こうして、「まちづくり」は「多様な主体の協働」による「地域課題解決」という概念へ収斂するとともに、守備範囲を拡大してきています。

「今治のまちづくり」

 一般的な話ですが、身近な「まちづくり」活動を見ると、多くは一過性の「催しごと(イベント)」による「賑わい」のみに終始することとなってしまっています。イベント事業と同じような意味で「ソフト事業」などと言う言葉もあります。都市計画などによる施設の建設計画である「ものづくり」に比して、「ことづくり」などと言われたりもしています。

 今、今治の「まちづくり」はどうでしょうか。多様な主体の協働による地域課題の解決とは、かなり「遠い」事柄が多いことも珍しくはないのが実情ですね。市民主導で行政から補助金が出るのならば、まだ良いのですが、行政主導で予算が付いたりもしている場合もあるようで、確かにそのよう行政主導の活動には、期せずして「多様な主体の協働」が見られたりもするのですが、「地域課題解決」に直結するかというと、疑問でもあります。もちろん、課題の存在を広く知ってもらうためには「賑わい」もあって良いと思いますが、それは、あくまで課題解決の数ある手段の一つであって、決して目的であってはならないと思います。往々にして混線するのですが、手段と目的を取り違いえないように心がけたいものです。

 小職の「まちづくり」活動は、出発点は「まちなか居住」ということで、まぎれもなく「地域課題解決」であったのですが、行政とのタイアップの在り方が、市長交代などによる行政側の姿勢の変化により、活動全体としては、徐々に「催しごとのまちづくり」へと変質していきました。小職とその仲間たちの立ち位置は当初のままなのですが、残念ながら、協働する多くの人々の問題意識には「賑わい」という考えしかなく、結果的に一時のイベントごとに終わっていきました。しかし、そうした行政が一枚かんだ活動と並行し、小職は一線を退きましたが「まちなか居住」のグループは、今も存続し地道な活動を続けております。

「個人塾に寄せる期待」

 さて、2010年代頃からだったでしょうか、「まちづくり」に参画する多様な人々に共通して必要な資質として、「他所者」「若者」「馬鹿者」という3要素があると言われてきています。意味するところは、「全く新たな視点を持つ人」「既得権益に囚われない人」「敢て火中の栗を拾う人」という意味と捉えることができます。個人塾の塾長として、上の3要素を咀嚼すると、次のようにも表現することができると思います。

『汎用性の高い「知識」と、それらを組み立て活かし、実効性のある姿にする「思考力」と「判断力」「表現力」、そして実際の活動において「多様性」を尊重しながら「主体性」をもって「協働する」人たち。』

 何やらAIを使って書いた文章のように見えますが、ここに挙げた言葉は大学入試共通テストの導入にあたって文部科学省が掲げた「新しい学力観」からとった用語で、それを使って小職が整理したものです。
 文部科学省が掲げていることをうのみにしているわけでは決してありませんが、全く期せずして、意外なほどピタリとはまってしまいました。おそらく、結果的に目指す方向が一致しているという事なのでしょう。因みに「協働」という言葉は、「まちづくり」活動が中央官庁主導で一層盛んになってきた2000年代頃から、多くの関係者に広がっていった言葉です。今や一般の用語として、「共同」に取って代わるようにして使われてもいますね。

 個人塾の塾長の指導は、多くの場合、塾生個々人の性格と持てる潜在能力を把握し、その上で目標を達成するべく力を注ぐことになりますが、その指導の形式上、結果的に人としての成長を多少なりとも援助し、また見守ることとなります。そうしますと上の「新しい学力観」も、学習指導の一つの指針としても良いのではないかと愚考します。

 ここで、やっと「まちづくり」と個人塾の学習指導がつながりました。まちの課題に限らず、課題を見出し解決策を模索し考案すること、こうした行為のために有意義な知識の涵養と思考力・判断力の育成を促すこと、そこに個人塾での学習が寄与できれば、塾長さんたちにとって大いなる喜びとなるものと思います。自ずと、「新しい学力観」の言う、主体性、多様性、協働性を身に着ける出発点にもなると思います。

 そして、こうして育った塾生たちが自主的に「まちづくり」に参画してくれれば、「まちづくり」という言葉の元々の意味するところであった、「地域課題の解決」という姿がより前面に出てきて、地方都市の再生、活性化に大きく資するのではないかと考えています。また、そうした塾生たちが育ち社会に出て、その充実に貢献するようになること、そこに個人塾の塾長さんたちの普段の「学習指導の姿勢」が、結果的に良い効果を及ぼすこと、これが小職の個人塾に期待を寄せるところでもあります。
 「まちづくり」は継続と同時にメリハリも重要です。塾の運営も然りであろうと思います。焦らず、ゆっくりゆっくりと、「社会に目を向ける姿勢を持ち、気力と知力を兼ね備えた塾生」を多く世に送り出して頂くことを期待したいと思います。〆

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